JOURNAL 01
2つの国が重なり
5つの文化が交わるまち、北九州市
2024.01.26
北九州市は5つの市が対等合併したという大きな特徴があります。その5市も、古くは奈良時代より「豊前国」「筑前国」という2つの国にわかれていました。もともと別のアイデンティティを持った人たちが、それぞれの文化を継続しつつも北九州というひとつのアイデンティティを作ろうと、北九州市が始まって60年の間、先人たちが努力を続けてきました。
その努力によって、若い世代は「北九州市民」であることに誇りを持ち始めています。次の段階として、若い世代が更に地元を愛するためには、広くアイデンティティを共有することだけでなく、自分が住んでいる地域を深く知ることが必要です。歴史や、埋もれた文化を掘り出して、磨くことが重要になってきます。そのためにはその合併の経緯や、2つの国や5つの都市の概要を知っておくことが重要になります。北九州の面白さをもっと知るために、少しだけ地元の歴史に目を向けてみましょう。

これは、豊前国と筑前国の境界に置いてある石碑です。このような石碑が北九州には多くあります。戸畑と小倉の間を流れる「境川」という名前の川がありますが、江戸時代にはこの川が名前の通り「境」でした。もともと、豊前を治めていた細川忠興と、筑前の黒田長政の仲が悪かったという話もあります。
国の境というのは大きな意味を持つものでした。1814年には、この「境」を舞台に、小倉藩の御家騒動が起こります。小倉藩の藩士、約360人の藩士が境川を越えて脱藩。当時、「脱藩」は大きな罪であり、反対派の一部の藩士は処刑されました。

北九州市その地を代表するのはやはり八幡製鐵所です。筑前と豊前の対立が八幡製鐵所の建設にも影響したという説もあります。洞海湾は干潟のように浅くて大きな船が入れないため、製鐵所の建設地は豊前の門司に決まりかけていたところ、筑前出身の財界人らが岩崎弥太郎、渋沢栄一の助力を得て八幡への誘致に成功します。そこから大きく八幡の街が発展していきます。また、八幡製鉄所関連の工場も増え北九州工業地帯が成立していくことになります。

北九州市ができるよりも早く、北九州工業地帯という名前は大正時代からあったそうです。明治時代に、封建的な経済から資本主義経済へと急速に発展していく日本の中で、5市が成立し発展していきました。その基盤となり、成長の推進力となったのが、重工業を中心とした近代産業です。北九州工業地帯が作られていく過程が、それぞれの都市が成立していく過程でもあります。
1899年に門司市政が始まり1924年に戸畑市政が始まるまでのわずか25年間に5つの都市が接続して成立したような事例は非常に珍しく、特徴的であると言えます。その5都市の特徴を少し紹介します。
【門司市】1889年、門司築港株式会社が成立しました。かの渋沢栄一も大口出資者のひとりです。門司港は石炭積出港として発展し、日露戦争後頃には九州第一位の港になりました。門司は貿易産業都市として第3次産業においても発展を見せ、1899年に北九州の中で市政施工第一号となりました。
【小倉市】小倉は江戸幕府が九州探題として譜代大名である小笠原藩を置いた、海運陸運の要所でした。明治時代初期、廃藩置県により小倉県が成立し、小倉はその県庁所在地となりました。1876年に小倉県が福岡県に合併されたため、県庁所在地ではなくなりました。城下町の伝統に加え、軍都として発展したこともあり、商業的な地盤も強い都市でした。1900年に市政が始まりました。
【八幡市】日本産業革命の基軸となる官営製鉄所が八幡に作られることとなり、都市形成も製鉄所の発展を軸に展開することになった企業都市です。全国の候補地の中から八幡が選ばれる過程は別記事に譲りますが、多くのドラマがあります。1897年に製鉄所の建設が決定し、1917年に市制が始まりました。
【若松市】若松は江戸時代から石炭の港としてその機能を果たしていました。筑豊炭田の開発に伴い、1890年に若松築港会社が創立し、翌年には筑豊興業鉄道の若松-直方間が開通しました。若松は日本最大の石炭積出港として発展していきます。1914年に市政が始まりました。
【戸畑市】戸畑は少し遅れて1924年に市政が施行されました。1909年に地元の実業家である安川家が若松から移り、鉱業や紡績工場を作りました。また明治専門学校(今の九州工業大学)を創設しました。戸畑市は工場や鉄工の工場が多く集まり、八幡製鉄所の最新鋭工場が設立されました。いち早く都市生活が整備されていきました。

前段で、筑前と豊前の争いについて記述しましたが、門司から八幡へ帯状につらなる北九州工業地帯ができると、その工業地帯が異なる市に渡っていては光熱費などで都合が悪くなってしまいます。路面電車沿いに電気網が発達したとも言われており、5市にわかれていては損をしてしまうという状況があったそうです。
国道や鉄道、港湾等の交通基盤を活かして発展した北九州工業地帯は、そこから五市合併の案が持ち上がり、その後、1963年2月10日、対等合併を経て北九州市となり、三大都市圏を除く地域では初の政令指定都市に移行しました。都道府県庁所在地以外及び本州以外の都市としても初のことでした。人口100万人を超える都市となり、1979年に県庁所在地の福岡市に抜かれるまで九州地方最多の人口を誇る都市でした。5市が合併し北九州市になり60年になります。その過程には、まだまだ興味深い歴史や物語が存在します。
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