JOURNAL 03
北九州は観光都市になるのか
2024.02.07
北九州市の成り立ちや人たちの努力についてここまで書いてきましたが、今を生きる私たちにとって重要なのは、今この瞬間と、この街の未来です。次の世代にとってより良い社会を作るために、私たちがどう未来に貢献できるのかについて考察します。TimelessFactoryが公の一助になりますように。

まず、大きなポイントとして、工業都市である北九州市は第3次産業(サービス産業)の割合が少ないことがあります。北九州市産業経済局が令和5年に出している、第1回北九州市未来産業創造会議の「北九州市産業の現状分析」という資料から引用します。
”北九州市の市内総生産産業別構成比は、政令市平均と比較して、第2次産業の割合(27.0%)が高く、第3次産業の割合(72.8%)が低い”というデータがあります。お隣の福岡市は、第3次産業の割合が(91.5%)となっています。
新卒として就職しようとしている大学生や高校生は、上記のデータ以上に、北九州市では就職先としてのサービス産業が少ないと感じているのではないでしょうか。市内の商業高校に募集を出している多くは製造業や運輸業です。市内の文系大学生の就職先も、建設・製造・運輸そして公務員が多くなっています。
私たちが考えている以上に、地元でサービス業に就職しようと考えると難しいのではないでしょうか。大学の先生方は特に苦慮されていて、市内に学生が就職しないという大きな課題を抱えています。それは、就職するサービス産業が福岡市や他都市圏に比べて圧倒的に少ないからです。
さらに、労働生産性について見ていきます。先ほどの資料によると”北九州市の全産業の労働生産性は462万円、20政令市中17位。製造業の労働生産性は614万円、政令市平均より高く、従業者も多い。全産業の平均(462万円)以下の業種で、約7割の従業者が従事”というデータが出ています。製造業の労働生産性が高く、全産業の労働生産性が低いということは、第3次産業が低いと言わざるを得ません。もちろん給与が高くなりようもありません。さらに、資料には”製造業は事業所が少ない割に付加価値が高い。卸売・小売業、宿泊・飲食サービス業は事業所が多い割に付加価値が低い”と続きます。付加価値を上げる努力をしていく必要があるのです。
北九州はコスパが良い、という意見をよく目にしますが、それは東京などの給与水準からみればという条件付きであり、北九州市の給与水準からみれば決してコスパが良い街であるとは言えません。給与水準が低く働き先もない街に、少なくとも文系の生徒が残りたいと思うはずがありません。

これから伸びる可能性がある第3次産業についてですが、やはり北九州市としてはDX産業、サービス系スタートアップといった、製造業に関連する分野に関しては成長する可能性が十分にあるだろうと考えています。そしてもうひとつ、可能性がある産業と言えば、観光分野ではないでしょうか。九州という特大観光地の入口として、北九州市には果たすべき役割があると考えています。世界を代表する経済紙のひとつであるアメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」は「2024年の行くべき場所ベスト10」の中のひとつに日本から「九州」を選びましたし、ニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」ではお隣の県にある「山口市」が3番目に選ばれました。大きくとらえた意味での関門エリアが注目されているのです。アジア圏からの観光客も実際に増えています。

そもそも北九州が第3次産業の都市として出遅れた背景のひとつには、空港の整備の遅れがあると言われています。意外に思えますが、北九州空港は2000年代中盤まで小倉南区の曽根にありました。太平洋戦争のとき、陸軍の曽根飛行場として誕生し、終戦後、民間飛行場に転用されました。プライベートジェットや60名程度が定員の小さな飛行機が運用されていたところ、1970年代中盤には東京 – 福岡線への大型機導入に加え、山陽新幹線の岡山駅 – 博多駅間が開業し、北九州空港の利用客は減少しました。
2006年に、北九州市と苅田町に跨る周防灘沖の人工島に設置された新北九州空港が運用を開始するのですが、その間に日本の産業構造は大きく変化してしまいました。
一握りの富裕層が乗っていた飛行機が、ビジネスマンを始めとした、言わば庶民の乗り物になっていく過程と言えるのかもしれません。その頃、北九州に本社や大きな支店を置いていた様々な企業が福岡市に移転していきました。

では、現状、北九州市は観光都市と言えるでしょうか。例えば、小倉城エリアが観光都市として作られているかを見ると、その視点がわかるでしょう。復興された天守(正確にはデザインが違うため模擬天守と表現したほうが正しいという説あり)がそびえる小倉城。日本百名城に数えられなかったデザインには様々な意見があるのですが、昔を知る人に聞くと、デザインを昔のものにするか当時の現代風にするかを市民にヒアリングした際に、圧倒的に今の格好の良いデザインが人気だったとのこと。今でこそ昔ながらの天守が良かったという人も多いのかもしれませんが、当時の市民にとっては格好の良い天守が、街の復興のシンボルだったことは想像に固くありません。また、紫川沿いには小倉城の石垣が並んでいましたが、今は噴水公園として整備されています。紫川は大雨による氾濫の被害が多発しており、その整備が急務だったことも理由のひとつと言えるかもしれません。

街の整備の歴史を紐解いていくと、小倉を観光地として整備しようとした要素は少ないように感じます。黒崎地区も同様です。あくまで市民のための街であり、外部からの観光客を呼ぶ必要はないと判断されていたのではないでしょうか。40年前の小倉や黒崎は、まだまだ活況を呈しており、週末ともなると多くの人で賑わっていました。今のお祭りよりも、昔の日曜日のほうが人出が多かったように思えます。
北九州市は、そもそも平野が少なく、人が住める土地としては狭い場所です。そのため山に登っていくように住宅地が建てられました。商業エリアも住宅エリアも密集しており、そこに住む人たちがパーソナルスペースの確保を求めたというのが、本当のところのようにも思えます。人口が100万人を切って悲しむ商売人たちも多いのですが、住んでいる人からすると「今の方が住みやすい」という意見が多くなるのも理解できます。
ただ、これからもこのままで良いのだろうか、という観点がこれからは重要になります。先人の作った財産を次の世代にも受け継ぐ必要があるのではないでしょうか。そのためには、前述した「DX」「スタートアップ」「観光」といった産業に注力していく必要があるのではないでしょうか。

観光都市として北九州市が生きていくのであれば、生活圏に旅行客が共に生活の一部を体験し楽しむ「生活観光」という観点や、工場群を観光の一部として活用する「インダストリアル・ツーリズム」の復興などが欠かせません。前者は街の協力が不可欠であり、後者に関してはそれぞれの工場を持つ企業が行うのではなく、行政による一元化された観光資源としての活用という観点が必要です。
どちらにしても、住んでいる人たちが選ぶのです。市民が選んできた結果が現状です。ハード面での生活環境を整備した人、ソフト面での生活環境を整備した人、そして、これからを選ぶのも市民です。
お金の無い街に、歴史や文化、そして伝統は残りません。私たちは、まず地域の歴史や文化を再発見し、磨き、新しい物語として語ることで、地域に貢献していきたいと考えています。そしてそれが、公への一助になりますように。

contributing to our industrial story